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まったく個人的な、2011年3月11日のこと。その2 [3.11]

部屋に帰り着き、玄関のドアを開けた時、言葉にできない感情が、頭の中で渦を巻いていた。
そう。それはまるで、柳生博さんの、アンドロメダ星雲のような、こう、なんというか……ハンターチャンス!(失礼しました)
水道があふれ、冷蔵庫も激しく動いたらしく、とにかくうちの中はメタメタになっていた。
そして何より、お留守番を頼んだはずの愛猫・はなさんの姿も、気配もない。
さまざまなモノが横倒しになっている狭い部屋の中で「もう、はなさんには会えないかもしれない」という思いを払拭するように、オレは家人とふたり、はなさんの名前を呼び続けた。
けれど、一向に出てくる気配も、何もない。
あきらめたくはなかった。
けれどここは、つらいけれどあきらめて、ふだん選挙の投票所で、いまは避難所になっていると目される、近くの小学校の体育館に向かった。

避難所は、どちらかというと整然としていた。
主にライフラインをやられてしまい、家では休めないのでここに来ている、という感じの人々が多く、それぞれ自分たちの場所をみつけて、おとなしくしていたように思う。
覚えているのは、「それでも(避難所から)仕事に出る」という人が結構いたこと、食事時にふるまわれた、非常用の「アルファ米」というごはんの、ちょっと特殊な感じの味。
それからなんといっても、夜通し低いボリュームでつきっぱなしになっていたNHKのラジオが伝える、まるで現実味のない情報(「ウソくさい」とかではなく、あまりにも現実ばなれしていたせいだろう)。
中でも耳を疑ったのは、「仙台市の沿岸部、荒浜地区の海岸に、およそ200体近くの遺体が打ち上げられており、」という情報だった。
え?
だって、荒浜だぜ。
毎年、夏になると、ふたりでバスに乗って海水浴に出かけていた、あの荒浜。
荒浜地区には、仙台市内の数少ない海水浴場として「深沼海水浴場」があり、夏には人でにぎわっていた。
TBCテレビの『サンドのぼんやり~ぬTV』も、毎年夏になるとここでロケを行ない、一般人の水着のおねいさん達とツイスターゲームで遊ぶなどしていたものだった。
バスの車窓からは、基本的にのんびりとした、住みやすそうな住宅地などが見えたし、就労支援施設と思われる工房の前では、ひとりの青年がバスに向かって手を振ってくれていた(彼はいま、元気だろうか?)。
その青年に向かって、こっちも手を振り返したりして、のんびりとした“小さな旅”を堪能したものだった。
あの、海水浴場の近くの、静かなたたずまいの家々は、今も記憶の中にあざやかだ。
そういった記憶の中の情景と、避難所のラジオが伝える情報とが、頭の中で、どうしても結びつかなかった。
しかしそれは誤報でもなんでもなく、悲しい事実だった(打ち上げられたご遺体の数も、200体にすこし少ない程度で、ほぼ一致していた)。
あのすべてが、ほんの短い時間で失われてしまうなんて。
いま、「深沼海水浴場」の入口のあたりには、慰霊碑が建立されている。
仙台にお越しの際は、数ある観光名所もよいのですが、ぜひそういった場所へも、足を運んでみてください。

やがてライフラインは、すぐに電気が、そして水道が復旧し、かなり時間はかかったが都市ガスも、日本各地のガス会社の方々のご尽力もあって、4週間ほどで復旧した(うちにいらしたのは、大阪のガス会社の方だったと思う。本当にありがとうございました)。
もっともうちの場合、ガスの復旧を待てずに、ヨドバシでIHコンロ(って呼ぶんだろうか?)を買ってきて、近所のスーパーでおとなしく行列を作り(主に家人が)、きわめてシンプルな食事で、しばらくの間をしのいでいた。

張りつめた毎日の中、音楽に救われた瞬間もあった。
今では居ながらにして日本中のラジオほとんど全局を聴くことができる(有料)ラジコが、震災発生後まもなく、その時点ではまだあったエリアごとの壁をとっぱらい、一定期間、いわば「無料でラジコプレミアム」のサービスを提供した時期があった。
うちでも何気なく、大阪のFM802をつけていると、どうしようもなく泣けてしょうがない曲が、流れてきた。
「愛は勝つ」で知られるKANの名バラード、

「すべての悲しみにさよならするために」

だった。



そうそう、愛猫・はなさんのことだが、「あの日」から3日目か4日目ぐらいに、当時住んでいた集合住宅の管理人さんが、
「この子、おたくのドアの前のとこにずっといたから、管理人室で預かってたんだよ」
と言い、そこでガチガチに身を固くしていたはなさんと再会することができた。
どうやら出かける際、玄関のドアを施錠した時、はなさんがチョロっと外に出てしまっていたことに気づかず、そのまま出てしまっていたようだ(今でもちょっと謎は残っているけど)。
しばらくの間、ご機嫌ななめのままだったけれど、とにかくはなさんは「あの日」を乗り越え、2019年のイヴの朝まで、オレたちと共に暮らしていてくれたのだった。


最後に。
国や県や市の偉い人が、どう言ってるか、オレにはよくわからないけれど。

復興は、まだまだこれからです。
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