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元ベンチャーズのジェリー・マギーをしのんで。 [音楽]

元ベンチャーズのジェリー・マギーが亡くなった。
ソロ公演のため来日中で、そのリハーサル中に倒れ、そのまま都内の病院で……ということだ。
と書いても、まだまだ実感は湧いて来ない。
ちなみにジェリー・マギーという人は、近年のベンチャーズのアーティスト写真でいくと、背が高くスリムでイケ……いや、ハンサム・ガイで、享年81という事実が信じられないほどに、とても若々しくみえる人だ。
さらにいうと、ベンチャーズはここ数年の間に、なんというか、これまでを支えてきたメンバーたちが次々にリタイア、あるいは亡くなって、ぶっちゃけると“オリジナル・フォー”と呼ばれたうちのひとり=ドラマーのメル・テイラー、の息子であるリオン・テイラーを残して、あとは(失礼ながら)“よく知らない人たち”が《ベンチャーズ》を名乗って、今年の夏も日本を回っていた、というわけだった(これまたちなみに今年のツアーの日程で、東北地方は完全スルーだった。失礼な話である)。
それにしても、ジェリー・マギーという人、ベンチャーズにとっても大きい存在だったことは確かなのだが、アメリカン・ロックの歴史の中でも、オレはそんなによく知らないけれども、なかなか重要な位置を占めていた人だったようなのだ。

1965年に発生した、日本での過熱気味ともいえたエレキ・ブームの、まさに中心的存在だったベンチャーズ。
そのブームが一段落ついたあたりで、こちらも重要人物で過日亡くなられたノーキー・エドワーズがバンドを抜けることになり(のちに戻ってくるのだが)、その抜けた穴を埋めるという重要な役割をオーディションで射止めたのがジェリー・マギー、というわけだった。
ジェリー・マギーがいた時期のトピックとしては、近年も新しいシリーズが人気を得ているTVドラマ『ハワイ・ファイブ・オー』の同名テーマ音楽が、ベンチャーズにとってアメリカ本国で久々の大ヒットとなった、ということがある(この大ヒットのために、1969年だけ、ベンチャーズの日本公演はなかった、というエピソードもある)。ただし、実際に聴いてみると、演奏の中心はスタジオ・ミュージシャンたちであり、エレキ・ギターはホーン・セクションの背後で地味に響いている程度で、「いかにもベンチャーズらしい曲」とは、ちょっと言いづらい。
だがしかし、やはり近年のライブでは盛り上がる1曲となっていた。
近年のライブでのジェリー・マギーというと、他にはアコースティック・セットで「京都慕情」などを演奏するパートのハイライトとなっていた、「クラシカル・ガス」という曲での、魂のこもったようなギター・ソロ。そして、エレキを奏でながら会場内をぐるっと一周りする「朝日のあたる家」でのパフォーマンスなどが、思い出される。

ベンチャーズでの活躍、そして、それ以外におけるキャリアなども鑑みると、ベンチャーズ・マニアでもある山下達郎さんがラジオで特集を組むのも必然の動きかとも思われるので、今はそれを、静かに待ちながら、遺されたレコーディングやライブ・パフォーマンスで、しみじみとジェリー・マギーという人を偲ぶことにしたい。
安らかに、お眠りください……。

“オリジナル・フォー”最後のひとりで、もちろんジェリーとも多くの日々を共にしたドンさん=ドン・ウィルソンも、きっと淋しく悲しい思いをしておられるだろうな……。
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