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八代亜紀入門・その1。 [音楽]

きょう2月22日は、「ニャーニャーニャー」ということで(!)『猫の日』なんですね。
そこできょうは、というか、きょうからしばらくの間(ネタが尽きるまで?)、かつてその美しすぎる風貌が「まるでペルシャ猫のよう」なんてことも言われた、「舟唄」「雨の慕情」「愛ひとすじ」など、数々のヒット曲をもつ八代亜紀さんとその音楽世界について、まぁ病み上がりということもありますし、ウダウダと語ってみたいと思う次第です。

なんでしょう。
子どもの頃から、潜在的な感じで「好き」ではあったのですが、なんかここに来て急激に亜紀さんの歌がマイブーム化してきておりまして、それも近年の『夜のアルバム』『夜のつづき』といった、一連のジャズ路線やクロスオーバーなご活躍ぶりとは異なる、歌い手としての(こちら側からみての)原点に近い、いわゆる《演歌の女王》の異名を欲しいままにされた、レコード歌手としての最初のおよそ10年間にあたる、テイチク時代の音源に、オレとしてはちょっとこだわっている次第なのです(と、「次第」が次第に多くなってゆく次第なのです。なんだそりゃ)。
実は近年の『夜のアルバム』等のジャジーな路線は、亜紀さんがレコード歌手になる前、ナイトクラブで歌っていた時代と地続きなのだそうですが、そういった場所では、洋楽・邦楽、ジャンルや楽曲のスタイルもさまざま、もちろん自分のための持ち歌などはなく、基本的にはどんなタイプの楽曲でも歌いこなせる必要があるわけで、そういった場所で、亜紀さんも歌の実力を磨いて行ったわけです。
やがて、そんな亜紀さんにテイチクから声がかかり、ある程度ナイトクラブで歌えていることで満足していた亜紀さんは悩みました。しかし、ナイトクラブで働く女性たちに励まされ、また説得もされて、「夜のお仕事の前に、ちょっと」と、ごく軽い気持ちでテイチクへと向かったのです。
と、そこには当時の重役さん=「偉い人たち」が揃っており、その人たちの前でちょっと歌ってみたところ、いわゆる「一発合格」となり、すぐにでもレコードを出しましょう、みたいな話になったのでした。
だがしかし。
デビュー曲「愛は死んでも」、第2弾「別れてあなたを」、この2枚がまったく動かなかった。
亜紀さん自らシングルレコードを携え、夜の街へキャンペーンに訪れると、その場ではレコードが飛ぶように売れるのですが、とにもかくにも肝心の売り上げのバロメーターであるオリコンチャートには、全くかすりもしない。
そういった中、亜紀さんは、当時オンエアされていた、プロ歌手も出場できるオーディション番組

『全日本歌謡選手権』

への出場を決意します。
プロとアマチュアが競うこの番組では、80点以上で勝ち抜き、10週連続勝ち抜きでチャンピオン、という、大変に厳しいルールのもと、既に五木ひろしさんがチャンピオンとなり「よこはま・たそがれ」などの連続ヒットを飛ばしてスターダムへとのし上がっていました(亜紀さんの少しあとには、『必殺仕事人』シリーズの“三味線屋の勇”こと、中条きよしさんがチャンピオンとなり、「うそ」をミリオンヒットとしていました。中条さんは、まず歌手としてスターになっていたわけです)。
「もし勝ち抜けなかったら、辞める」ぐらいの固い決意のもと、亜紀さんは『全日本歌謡選手権』に出場(これで顔と名前が売れ、第3弾シングルの「恋街ブルース」が、下位とはいえ初のオリコンチャート入りを果たしています。亜紀さんのスキャットと、うなるファズギターがなかなかのインパクトを残す、異色のナンバーです)。
10週勝ち抜き、チャンピオンとなった亜紀さんは、再デビュー曲と言っていい第4弾シングル「なみだ恋」をリリースし、ミリオンに迫る大ヒットを記録して、

《八代亜紀伝説》

が、ようやく動き出したわけです。(つづく)


☆今回の記事に関しては、ライターの武田砂鉄さんによる、亜紀さんへのインタビュー記事が、非常に参考になりました。
素晴らしい記事ですので、お時間のある方は、ぜひご一読ください。
https://www.cinra.net/interview/201510-yashiroaki


☆廉価CDながら、亜紀さんのテイチク時代のシングルA面39曲中30曲が聴けるおトク盤。


☆長年、歌詞の問題でベスト盤からオミットされてきた、川内康範先生作詞の「愛ひとすじ」を収録。CDサイズの復刻シングル・ジャケット(表側のみ)28曲分・14枚つき。限定生産1000セットとのこと。お早めに。

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